死ぬとは?

黄泉医学 死に方の極意

黄泉医学 死に方の極意

  • 作者:奥山 輝実
  • 出版社/メーカー: ヒカルランド
  • 発売日: 2018/10/18
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

「死ぬのは苦しいですか? 死んだらどうなるのですか?」とのお尋ねを講演会等でよくいただきます。

死ぬ時には、最高の幸福感をもたらしてくれる脳内ホルモンが瞬時にドバッと出ることが分かっています。

病気や事故で死ぬ時には、死の瞬間はとても短くなります。

例え数ヶ月間、意識不明のまま寝たきりで闘病していたとしても、死を迎える人にとっては数十分、小一時間ほどにしか感じられません。

例外は、自殺です。
自殺だけは、死ぬまでの時間が永遠のように長引きます。
電車に飛び込めば、電車は超スローモーションでしか迫ってきません。かといって、身体が動かないので逃げも隠れもできません。痛みは感じませんが、身体が潰され、切り裂かれいくのをゆっくりと味わわされます。
死んでからの地獄はありませんが、唯一、この自殺で死ぬまでの間が地獄と呼べます。

死んで肉体を魂:意識体が離れてしまえば、どんな死に方をしても同じ状況になります。

下を見れば、自分の死体が見えます。

そこは、想念がたちまち具現化してしまうスペースです。

極楽往生して観音様が迎えに来てくれる」と信じていれば、その通りになります。
「地獄へ落ちる」の不安と恐怖が強ければ、やはりその通りの世界を創ってしまいます。
死のプロセスを知り、死ぬ心構えをしてきた人以外は、この想念のワンダーランドの虜になってしまいます。
「もういい。上へ昇る!」と想念しない限り、時間も空間もない、この想念のワンダーランドでさまようことになります。
「もう一度、この人生をやり直したい」
「次は、あんな人生を生きたい」
「アイツだけは許せない! 恨みを晴らしたい!」
このワンダーランドでは、どんな想念もパラレルワールドを創って現実化してしまいます。
これが輪廻転生の仕組みです。

死ぬ心構えとは「死んだら何も想念せずに、ただ上へ昇っていく」に尽きます。
「上へ昇る」という想念ではなく、魂:意識体として上へ昇っていくことが大切です。
決して難しいことではありませんが、生きている間に冥想や座禅などをしておくと、とても簡単にできます。
上には眩しい&あたたかい光が見えるので、そこに飛び込むだけです。

光の前世療法では、仙人や神さま、女神さま、観音さま等々の人が現れますが、これは便宜上のことで、本番では光の中心に導かれて、やがて大いなる光とひとつに溶けあいます。

魂は、懐かしく愛しい魂の故郷へ戻ってきた至福の喜びに満ちあふれます。

個の意識は残っていますが、ワンネスで個は消え去ってもいます。

ひとつの大いなる光そのものもまた、個の創造したワンダーランドであることに気づいた瞬間に、猛烈な勢いで闇を飲み込んできた光の膨張は止まり、闇の世界への扉が開きます。
この闇に一歩踏み出せば、個は完全に消え去ってしまいます。
(普通の魂は、そこまでしません)

ただ、光とは何か? を知るためには、この闇の世界から光を見なければなりません。

そして、闇の世界から様々な光の世界を見ることで、「光の世界:光さんにもいろいろあるんだな」ということが分かります。

光さんに、善悪優劣があるわけではありません。

光さんの波動との相性がよいほど魂の輝きが増すので、光との対話では、できるだけピッタリの光さんに導いて差し上げようと私はいつも努めています。
もちろん私自身の魂の波動も少しは干渉しますので、出来るだけ無念無想でのガイドを心がけています。(ワーク前々日からの精進潔斎はなかなか面倒なものです)

光の前世療法を受けると、死ぬのが怖くなくなります。
これは、死のプロセスを練習することができるからです。
コツがわかってしまえば、怖くもありません。恐れず平常心で死を迎えることができます。
死を楽しむことさえ、できます。
「今」を生きるには、死の恐怖を手放すことが必要です。
死を楽しめるようになれば、「今」を思いっきり楽しめる余裕が生まれます。
輪廻転生や因果応報の泥沼に陥ることなく、魂は光の世界へと戻ることができます。

「今」を楽しめる人は、「今」を思い通りに創造できます。
想ったこと、願ったことが叶います・・・生きがいの創造であり、引きよせの法則の成就です。
死のプロセスを知り、「今」の仕組みに気づいていただくことも「光の前世療法」からの大きな天恵なのです。