天職とは・・・

黄泉医学 死に方の極意

黄泉医学 死に方の極意

  • 作者:奥山 輝実
  • 出版社/メーカー: ヒカルランド
  • 発売日: 2018/10/18
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

拙著「黄泉医学」から・・・

 天の大いなる光へと昇りながら、今生を神の目で見下ろしている魂の意識体には、今生で就いた仕事の本当の意味も見えてきます。

 流されるままにたまたま就いてしまった仕事にも、
 どうしてもやりたくて奮闘努力の末に就けた仕事にも、
 先祖代々受け継がれてきた仕事にも、
 まさか自分がやるとは思ってもみなかった仕事にも、
 これだけは絶対に嫌だと思っていた仕事にも、必ず学びが秘められています。

 人生の日々を生きている時には、なぜこの仕事とめぐり会ったのだろうか? 
 この仕事で得られる智恵と技術と人間関係には、どんな意味が込められているのだろうか? 
 この仕事を通じて私の本質は、何を学ぼうとしているのか?

 もちろん世のため人のために、この仕事をどんどん活かしていこう、と人生を切り開いていくことも大事ですが、神の目で今生を振り返る時には、今生の主人公であった自分という魂の気づきと学びと成長が焦点となります。

 中には、人々のために我慢に我慢を重ねて多くの人たちを縁の下から支え続けてきた人もいます。
 研究に一生を捧げた末に得られた発見が多くの人たちを幸せにした人もいます。
 滅私奉公の一生が多くの人たちから感謝された人もいます。

 多くの人を救った、助けた、喜ばせた、幸せにしたことは素晴らしいことですが、死後の魂に求められるのは、そこから何に気づき学んだか?です。

 他人を救い幸せにすると、魂を包み込んでいる思念の意識体の波動が上がります。
 助けた人が多いほど、賞賛の声が大きいほど、その波動は高まります。

 思念の意識体の波動が高まると、学びに気づきやすくなります。
 自分がやってきた仕事の意味にフッと気づく瞬間が増えます。

 ただ難しいのは、それが感謝や賞賛の渦のまっただ中にいる時だ、ということです。
 我欲とエゴも最高潮になっている時に、こころに静寂なスペースを保っていることは、とても難しいことです。
 誰もが何度も酒池肉林の底なし沼に落ちた人生を送ってきています。
 もう今生で懲りた、次は絶対に・・・と固く決心をして、あの世へと旅だっても、人間の煩悩にはなかなか勝てません。
 「おいおい、またかよ」と魂の声が聞こえてきそうなプラスマイナスゼロの人生になってしまいます。

 仕事を人生という長いスパンで見た時に、初めから終りまでずっと順風満帆な仕事というのはありません。
 どの仕事にも陰陽があり、春夏秋冬があり、栄枯盛衰があります。
 その陰極まった冬の時代に、魂は磨かれて波動が上がります。
 思念の意識体は、どん底に弱いので、泣き言、あきらめ、自虐、やけくそに陥ります。酒や美食やギャンブル、うつや閉じこもりに逃避します。
 そんな思念の意識体の悲鳴を聞きながら、魂は自分を磨き、波動を高めていきます。

 どん底が長く深いほど、失うものが大きいほど、魂は成長できるので、元々の波動が高い魂が今生を計画する際には、今生の後半、終わり近くに人生最大のどん底を持ってこようとします。
 一歩間違えば、どん底のままで終わってしまうかもしれないような一か八かの大勝負のどん底を持ってくる魂もいます。
 深く寒く極まった陰を何とかして生き延びれば、新たな陽の時代を迎えることができることを魂は知っているからです。
 そして、そんな新たな陽に照らされた残りの人生では、どんなに成功しても富貴利達しても、もう魂の学びが疎かにはならないことを魂はよく知っています。

 大いなる光に今生の仕事の意味を尋ねると、
 優しくなるために、
 愛を知るために、
 奉仕するために、
 感謝するために、との答えに行き着きます。
 どれもが魂を美しく磨き上げてくれます。

 今生の春の仕事からは努力を学べます。
 夏の仕事からは我欲と煩悩を学べます。
 秋の仕事からは執着と慈愛を学べます。
 冬の仕事からは優しさと感謝を学べます。
そして、新たな光輝く春を迎えることができます。

 ひとつの仕事を一生涯続けるのも、人生の節目節目で転職するのも、経営上手で大企業になるのも、破産倒産の苦渋を味わうのも、魂にとっても神さまにとっても優劣はありません。
 そこで何に気づき、何を学び、どれだけ魂を磨いたのかが魂の喜びになります。
 仕事は魂を磨く研磨剤だとわかったら、仕事の悩みや迷いや焦りも薄れて、今やるべきことが仕事の奥に透かし見えてきますよ。

死に方の極意 その12「ゴシゴシ磨こう」